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◆波乱万丈~有吉弘行~という男。◆

近年、最も勢いのある芸人といっても過言ではない有吉弘行
歯に衣着せぬ、ストレートで毒のある言動と安定感抜群のMCセンスでバラエティに引っ張りだこ!
その勢いは未だ衰えない。今回はそんな芸人・有吉弘行という男について書いていこうと思います。

有吉弘行の原点 『ユーラシア大陸横断ヒッチハイク』

ヒッチハイク

1996年『電波少年』というバラエティの企画としてスタートしたヒッチハイク旅、
当時、猿岩石として活動していた青年・有吉は、相方の森脇とともに壮大な企画に挑んだ。

野宿、絶食、食あたり、一文無し…人違いで留置所へ…etc
見知らぬ国で想像を絶する過酷な旅路を歩む若者二人を当時、日本中が応援していました。
幾多の苦難を乗り越えてヒッチハイク旅を終えた彼等は帰国後、大スターに、
デビューシングル「白い雲のように」はミリオンセールを達成し、一躍時の人となりました。

だが、彼はまだ知りませんでした…これから本当の地獄が待っていることを。

天国から地獄へ…恩人、『上島竜兵』の存在

うえしま2

ヒッチハイクから時間の経過とともに“猿岩石ブーム”は急速に終わりを告げます。
ほぼ素人の状態から一気にスターダムへと担がれた彼らは、時の流れに成す術もなく、コンビは解散。
有吉はまさに「天国から地獄」を経験することになります…

ピン芸人になり、一発屋と呼ばれることへの恐怖などを抱え自信を喪失しかけていた有吉。
そんな彼を見捨てず、面倒を見続けたのが先輩芸人・上島竜平(ダチョウ倶楽部)だったそうです。
芸人として、先輩として、人として有吉をずっと支え続けた上島さんのエピソードを聞くと、
彼が多くの後輩から慕われている理由が分かります。二人の関係性は、この先ずっと変わることはないでしょう。

“あだ名”で再ブレイク!~そして現在に至る。。

ありよし

長い低迷期を越え、内村プロデュース、内村さまぁ~ず(主にウッチャン司会の番組)などで
数少ない出演ながら確実に爪痕を残し続け、辛辣ながら的確な“あだ名”芸で再ブレイク!
その後は過去の経験からどんな仕事も断らず、出演する度に切れ味の鋭いトークでしっかり結果を残すことで
数多くの冠、レギュラー番組を獲得し、TVで見ない日はない現在の“有吉弘行”が誕生しました。

誰しも、人生一度はなにをやってもダメで自信を無くす“最悪な時期”が必ず訪れると思います。
それでも“誰にでも傍で支えてくれる人はきっといて、その気になればもう一度這い上がれる筈だ”
有吉弘行という男は、そんなことを計らずとも体現してくれている芸人だと思います。

そんな有吉弘行にはこれからも“息の長い二発屋”として芸能界で暴れまわって欲しいです。

記事担当:しゃけ

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