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【ひな祭り特集】少女映画の世界

2022/03/11

 3月3日はうれしいひな祭り♪小さな娘さんがいらっしゃるご家庭ではおひなさまを飾った方も多いことでしょう。旧暦の3月3日が桃の花が咲く時期だったことから、桃の節句とも呼ばれますね。その由来は平安時代までさかのぼり、年中行事として一般的に定着したのは江戸時代なのだとか。全国各地で飾り方に地域ごとの特色があったり、おひなさまを水辺に流す「流し雛」という風習もあったりと、行事のあり方は様々ですが、女子の健やかな成長を祈るという意味では変わりません。
 そんなひな祭りにちなんで、今回の「どれ観よ PICK UP」ではビデックスで配信中の少女映画をご紹介します!!不思議な世界に迷い込んだり、男の子のふりをしてみたり、捨て犬の群れとともに反乱を起こしたり、ロボットと友達になったり、ドラゴンの背中に乗って冒険の旅に出たり、環境問題の危機を世界に訴えかけたりと、映画の少女たちはいつでも大忙し!!ときに大人顔負けの活躍をみせる少女たちの勇姿をぜひご覧あれ!!(スタッフT.M.)

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洋画

洋画アニメ

邦画

邦画アニメ

(C)2017 FLORIDA PROJECT 2016, LLC. (C) CONDOR FEATURES. Zurich / Switzerland. 1988 (C) Hold-Up Films & Productions/ Lilies Films / Arte France Cinéma 2011 2014(C)Proton Cinema, Pola Pandora, Chimney (C)Gift Girl Limited/ The British Film Institute 2016 (C) 2020 B-Reel Films AB, All rights reserved. (C)VERTOV SIA,VERTOV REAL CINEMA OOO,HYPERMARKET FILM s.r.o.ČESKÁ TELEVIZE,SAXONIA ENTERTAINMENT GMBH,MITTELDEUTSCHER RUNDFUNK 2015 (C)2014 Les Films du Worso ?Dune Vision (C) 2015 MAKING MOVIES/KICK FILM GmbH/ALLFILM (C) 2014 ONE & TWO LLC (C) ORIGAMI FILMS / BEE FILMS / DAVIS FILMS / SCOPE PICTURES / FRANCE 2 CINEMA / CINEMA RHONE-ALPES / CE QUI ME MEUT ? 2015 (C)2015 Galaxy Media and Entertainment. All rights reserved. (C) 2016 Hush Money Film, LLC. All Rights Reserved. Copyright 2016 Restoration Films (C)COPYRIGHT 2016 COPYRIGHT LET’S BE EVIL LTD (C) GET OFF THE ROAD 2017 (C) GET OFF THE ROAD 2017 (C) Copyright Studio dim, Wady Films, Filmbin, Masterfilm, Artileria, Senca Studio, Fabrika Sarajevo, 2019. (C) My Guardian Angel. Copyright(C) 2018 CL Film Project I LLC All Rights Reserved. (C)2019 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & YONG FILM & DEXTERSTUDIOS. ALL RIGHTS RESERVED. (C) 2015 BLUE EYES FICTION/Sony Pictures Releasing (C) 2018 BLUE EYES FICTION GNBH & CO.KG (C) Buena Vista International (Germany) GmbH / blue eyes Fiction GmbH & Co. KG, Photos: Marco Nagel / Joe Voets (C)2017 ZODIAC PICTURES LTD. / MMC ZODIAC GMBH (C)2015/JE SUIS BIEN CONTENT STUDIOCANAL KAIBOU Production UMT Inc. NEED Productions ARTE France Cine’ ma JOUROR Distribution RTBF TCHACK (C)Happiness Road Productions Co., Ltd. (C)Keyring. All Rights Reserved (C) 2018 LICENSING BRANDS (C)2016 GOLD VALLEY FILMS, CO., LTD.. All Rights Reserved. (C)Shenzhen Global Digital Film & Television Culture Co., Ltd. (C)2020 Storm Films AS, Volya Films BV and Evolution Films S.R.O.All rights reserved (C)1993読売テレビ放送株式会社 (C)1983 キティフィルム (C) Rockwell Eyes Inc. (C) 2016『少女椿』フィルム・パートナーズ (C)2006 ゼロ・ピクチュアズ/朝日放送 (C) 2019映画『駅までの道をおしえて』production committee (C)「黄泉がえる少女」製作委員会 (C)2016「島々清しゃ」製作委員会 (C)XFLAG (C)タツノコプロ (C)Makoto Shinkai / CMMMY (C)2019こうの史代・双葉社 / 「この世界の片隅に」製作委員会 (C)KENJI STUDIO (C)VisualArt’s/Key/planetarian project (C)2005 映画「ガラスのうさぎ」製作委員会 (C)2003 映画「もも子」製作委員会 (C)1995 映画「5等になりたい」製作委員会 (C)2007 映画「大ちゃん」製作委員会 (C)2001 映画「ダイオキシン」製作委員会 (C)1999 映画「ハッピ-バ-スデ-」製作委員会

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喪の果てへの旅 黒沢清『岸辺の旅』

2022/02/25


死んだ人たちの伝達は生きている
人たちの言語を越えて火をもって
表明されるのだ。

- T.S.エリオット『四つの四重奏曲』より
西脇順三郎訳

1.「水で、という気はしてたの」

 柔らかい陽光が、穏やかな微風に揺れるレースカーテン越しに流れ込んでいて、静かに部屋を満たす。小鳥のさえずりが聴こえる。たどたどしいテンポでピアノを弾く少女は、いくつかの小節を弾き終えると頼りなさげな表情で振り返る。

「もう一度最初から。焦らないで、ゆっくり」

 ピアノ教師である薮内瑞希(深津絵里)は、少女の傍らにそっと歩み寄り、彼女の不安を和らげるように優しい声でそう告げる。少女の顔の高さに合わせるため、腰を曲げかがんだ姿勢になった瑞希の横顔は、肩まで伸びた黒髪で隠されていて、形の良い鼻先と唇だけが覗いている。
 黒沢清の諸作において、死者(あるいは死)の表象とは、鮮明に映されてしかるべき人物の顔が朧げにしか映されないことで示されてきたのを思い出す。『岸辺の旅』の主人公である瑞希の顔が初めて近い距離で示されるショットでもまた、彼女の表情が判別することのできないアングルにキャメラが置かれているからだ。まだ映画がはじまって間もない冒頭部分、それもピアノの練習風景という穏やかな日常的シーンでありながら、たった一つのショットによって濃密な死の気配が画面いっぱいに立ち込めていく。黒沢清の作品を見ることとは、それがいつの時期のどんなジャンルに属するものであれ、この濃密な死の気配を全身で受け止める体験に他ならないということは誰もが知っているだろうが、それでは『岸辺の旅』の観客もまた、たとえば『CURE』のように人間心理の底知れぬ暗闇に深く埋没する恐怖を味わうことになるのだろうか。
 たしかに、続くシーンでようやく表情を露わにした瑞希の顔貌はどこか生気を欠いていて、まるで自分が死んだことに気づいていない死者がスーパーで買い物をしているかのように見えるかもしれない。帰宅し、白玉団子を調理する瑞希の後ろ姿も生活的な躍動を見せることなく、キッチンの明かりだけが灯された暗い室内でただじっと静止し、二粒ばかりの団子が茹でられるのを冷たい表情でみつめるばかりだ。
 ところが、次の瞬間、ひとつのショットが事態の変化を告げる。団子をみつめる瑞希をアップショットで捉えたシネマスコープサイズの画面が、俄かに、そしてゆっくりと左方向へパンしはじめるのだ。キャメラは瑞希を画面の右端に追いやり、左側の空間が大きく映されるが、そこには誰もおらず、明かりの乏しい部屋の片隅だけが映されている。誰もおらず何もない空間への不気味なパンショット。その意味が理解できるのは続くショットである。何のきっかけもなく、瑞希は何かに気付いたかのように後ろを振り向く。すると、3年もの間失踪していた瑞希の夫、優介(浅野忠信)が前述のパンショットには誰もいなかった暗い部屋の片隅に靴を履いたまま立っていて、そればかりか自分はすでに死んでいると瑞希に告げもする。
 ここで驚くべきは、死んだ優介が亡霊となって不意に帰還したことそのものではない。自らが死者であると告げる夫を前にした瑞希が、ほとんど驚きも喜びもせず、恐怖の反応すら些かも見せないことなのだ。それはまるで、カール・テオドール・ドライヤーの『奇跡』で、死者の蘇生に立ち会った家族が一切騒ぎ立てることなく、ごく穏やかにその事態をただ祝福することの感動とよく似ている。瑞希もまた、優介が死者として帰還するという事態に立ち会いながら、その超常性を一切疑うことなく紛れもない現実として受け入れ、何よりまず靴を履いたまま部屋にいる優介をたしなめもしてしまうからだ。

「不思議な感じだったな。あっという間なんだよ。一歩踏み込んで、ことがはじまるともう引き返せない。あっぷあっぷしてるかと思うとぐいーと引き込まれて」
「水で、という気はしてたの」
「でも、全然苦しくなかった」
「そう、よかった」

 まるで他人事のように落ち着き払った調子で自らの死の瞬間を語ってみせる優介に対し、次第に語調を強め、声を震わせてゆく瑞希は、優介の死に苦しみがなかったことを祝福しさえし、冷たいままだったその表情にも生者としての人間的な熱量を取り戻していく。亡霊である優介が一瞬でも姿を消すと、安堵するどころかむしろ声を荒げ、再度の不在を阻止せんと努める。現世での存在が長続きしないことを示唆する優介を押し倒し、抱擁し、いつまでもここにいて、と強く訴えかけもする。
 つまり、これら一連のシーンで重要なのは、それまでの多くの黒沢作品では底なしの恐怖を準備した「濃密な死の気配」が、むしろここでは絶望のただなかに冷たく沈滞する人間の感情に生の熱量と愛の歓びを蘇生させる「予感」として機能することにあるのだ。映されない顔、不気味なパン、死者の出現、夫の死に方をなぜか確信していたこと。理由なく繰り出されるこれらの不穏な要素は、物語順序の論理に先立つ啓示として降臨する。そして、その不穏な啓示はかえってことごとく瑞希の生を肯定し、鼓舞することになるのである。
 微風に揺れるレースカーテン越しに流れ込んできた柔らかい陽光が、リビングルームの白い絨毯の上に倒れこんだ二人を包む。優介は、生前世話になった人たちに会うための旅に出るという。みっちゃん、俺と一緒に来ないか?

「長くなるの?」
「なる」

 

 

 2.「どこだかわからないけど、いかなくちゃならない」

 彩度の浅い画面の中でひときわ映えるオレンジ色のコートを着た男と、それとは対照的な緑色のスカートを履いた女が、神奈川県小田原市郊外のとある駅に降り立つ。電車の中では見知らぬひとりの少年から謎めいた視線を送られ、無言のまま両手を膝に置かれもした男と、それに戸惑いつつ寄り添っている女というこの「奇妙な二人組」は、いま、彼らよりも輪をかけて奇妙な一人の老人を探している。
 ここでもまた「予感」に導かれるように理由なく、オレンジ色のコートを翻して後ろを振り向いた優介は、バイクに乗って新聞を配達して回る島影(小松政夫)の姿を発見する。生前の優介が新聞配達員として働いた際、世話になっていた老人である。水色のヘルメットを被った島影は、二人を彼の仕事場兼住居に招き入れる。たったひとりでそこに暮らす島影との会話は絶妙に嚙み合わず、かつての瑞希同様彼もまたどこか現実的な生の感触が希薄に感じられる。島影に勧められるまま、そこに泊まり込むことになった二人は、夜になると寝支度をはじめる。顔を向き合わせることなく各々の作業に取り組みつつ話し続ける二人の会話がふと止まると、理由なき「予感」に二人は振り返り、顔を見合わせる。
 
「島影さんはね、俺と一緒なんだよ」
「えっ、どうして」
「わかるんだよ、大抵は」

 理由なき確信とともに、島影がすでに死んでおり、かつ、彼は自分が死んでいることに気付いていないと断言する優介を捉えたアップショットは、きっかけ無しにゆっくりと彼の左上方のドアへと移動してゆき、しばらくすると、ドアの曇りガラスの奥を島影らしき人物の不鮮明な姿が横切る。
 小津安二郎の『非常線の女』で、ギャングの岡譲二とその情婦である田中絹代の部屋へ警察が踏み込む直前に、それを予期したかのようにキャメラがドアの方へ前進移動するショットと相似形にあるともいえるこのショットは、それ自体で映画的緊張感を画面いっぱいに行きわたらせもするだろう。
 しかし、それにも増して重要なのはその後に続くショットだ。不穏な夜を経て、翌朝目覚めた瑞希が、まだ眠りから覚めていない優介の口元に顔を近づけてゆき、接吻するほどの近さに達したとき、唇ではなく耳を向けて彼の寝息を確かめ、安堵するというショットのことである。あの不穏な夜のショットが、この愛情の緊迫感と充実した光に満ちた幸福極まりないショットを「予感」したのである。
 自らの現世での存在が終わりを迎えようとしていることを「予感」する島影が「どこだかわからないけど、いかなくちゃならない」と語る言葉の通り、『岸辺の旅』のキャメラもまた、物語順序の論理を逸脱し、それに先立って運動を開始するのである。
 さらにここでは、それまで反復された、不穏が幸福を準備するという構造の逆転現象さえ起ってしまう。
 不穏な「予感」に打ちひしがれ、夜の公園で酔いつぶれた島影を優介がおんぶして家に連れ帰り(死者が死者を背負うという光景が、ただそれだけで素晴らしい)、瑞希もそれを手伝って暗い部屋のベッドに島影を降ろすと、完全に理由を欠いた光がゆっくりと壁一面に貼られた紙の花を照らし上げてゆく。
 優介の不意の帰還に瑞希が現実的な驚きを見せなかったように、ここでの二人も、それまで黒い影に覆われていた壁が唐突に明るくなってゆくという事態に一切反応することなく、ただ島影のライフワークの成果に圧倒されるばかりだ(この説明不在の光によって露わにされたあまりにも豊かな色彩に包まれつつ、唇をわずかに開きながら、言葉なしに紙の花をみつめる深津絵里の横顔のショットは、デジタルによって撮影されたあらゆるショットの中で最も美しいもののひとつと断言してよい。これほどの画面をデジタルで撮りえた映画作家など、世界を見渡しても『ヴィタリナ』のペドロ・コスタぐらいしか見当たるまい)。
 その翌朝、瑞希は、彼らがそれまで暮らしていた家が廃墟と化している様を目撃することとなる。島影の姿も見当たらない。島影がすでに死者でありつつそれに気づかなかったのと同様に、家もまたみずからが廃墟になっていることを知らなかったのだろう。壁に貼られた紙の花は色彩を失い、ぱらぱらと音をたてて崩れ落ちてゆく。
 ところで、荒れ果てた室内を映し出してゆく無人のフィックスショットの中のひとつに、割れた鏡のショットが紛れ込んでいて、小津安二郎における無人の部屋の鏡のショットがふと頭をよぎる。優介が瑞希との性的な接触を拒むことで『晩春』を連想させもするシーンの直後に置かれたこのショットと、シーン全体に濃密に貼りつく小津安二郎の気配は、続く第二の旅へ引き継がれることとなるだろう。

 

 

3.「もう一度最初から、優しくなめらかに、自分のテンポで」

 『岸辺の旅』で最も重要な箇所に思われるのは、優介がかつて働いていた中華料理屋の女将、神内フジエ(村岡希美)や、優介の生前の浮気相手であった松崎朋子(蒼井優)と瑞希が対話するシーンである。この二つの対話では、人物の正面にキャメラが置かれることで画面に尋常ならざる強度を漲らせるからだ。
 中華料理屋の手伝いに励む瑞希は、久々に宴会の予約が入ったので、フジエとともに長いこと使われておらず倉庫と化していた広間を片付けている。そこに一台のピアノを発見した瑞希は、彼女が幼いころピアノ教師から告げられたという言葉をフジエに話す。

「自分の音を聴きなさい。耳をすまして、注意してよく聴きなさい。どんなに嫌いでも、あなたの音が、あなたなんです」

 この台詞の箇所でまず最初の正面切り返しが現れる。にこやかな表情で瑞希が話すのと対照的に、それを聞いているフジエは表情を硬直させ、口を閉ざしたまま返事をせず、作業をする手も止まっている。この奇妙な切り返しの意味がわかるのはその後のシーンである。
 宴会の準備を続ける中、瑞希はふとピアノの上に置かれた楽譜を見つける。『天使の合唱』と題されたその楽譜を開くと、職業的な習慣からか瑞希はピアノの椅子に座り、その曲を弾きはじめる。すると、血相を変え走りよってきたフジエが瑞希の行動を厳しい口調で非難する。ちょっとなにやってんの、やめてよね、勝手にそういうの。誰もいない広間で少しピアノを弾いてみただけなのだから、この非難はあまりに唐突で理不尽に思えるのだが、瑞希は深く謝罪してみせる。本当にすみませんでした。こういう楽器って、持ち主の身体の一部みたいなところがありますから。瑞希の誠実な謝罪ぶりに冷静さを取り戻したフジエは、自らの過去を話しはじめる。

「私ね、8つも歳の離れた妹がいたの。私が18のときだったから、彼女は10歳。もともと腸が弱い子でね。痛い、痛いって苦しんで。あっという間に死んじゃったの。その楽譜の曲、『天使の合唱』、あの子ずいぶん気に入ったみたいで、勝手に一人で何度も練習して。ほんと、何度も、何度も、嫌になるくらい。ちょっと上手くなったかな、と思うと、また元のたどたどしいテンポに戻ったりして。すっかり耳にこびりついちゃったのよ。それでね、私、一度だけ彼女のこと、ひどくひっぱたいたことがあったの。ひとに聴かせないでよそんなピアノ、自分でわかるでしょ、ニ度と私のピアノに触らないで、って。10歳の子供に。どうかしてたんだ。いろいろ迷ってた時期でもあったしね。それからすぐ、妹は死んじゃった。だから私もピアノ辞めたの。で、親はそれ処分するって言ったんだけど、私はなぜか反対してね。ずっと実家の片隅に置いてあったのを、ここに越して引き取ったの。ほんと、どうでもいい話。でも、そんなどうでもいいことが、凧糸みたいにいっつも私の足に絡みついてて、歳とればとるほど、もう一歩も前に進めないって思うくらい頑丈に、私を過去に繋ぎ留めてるの。ほんの一瞬でいい。私、あのころに戻りたい。それで、心からまこちゃんに謝りたい。叩いてごめんね。ピアノ、弾きたかったんだよね。私がいつも弾いてるの、羨ましかったんだよね。お姉ちゃんのこと、許してね。また天国で会おうね。私はすっかりおばさんになってるけど、ちゃんと覚えててね。後悔してもしてもしきれなくって、あれからもう、30年も経ってしまった」

 瑞希と話していたはずのフジエは、いつのまにか、亡き妹に話しかけている。瑞希が子供にピアノを教えるときそうするように、フジエも腰を曲げ、かがんだ姿勢で、誰もいない空間へ向けて語りかける。陽光が落ちる。広間は暗闇に飲み込まれそうになる。
 独白を終え、姿勢を崩しうなだれたフジエの眼前に、赤いチェック柄のワンピースを着た幼いままの妹が現れる。フジエはピアノの方を振り返る。瑞希は優しい表情と声で見守るように、フジエの妹をピアノに招く。彼女は『天使の合唱』を弾きはじめるが、たどたどしいテンポで上手く弾けず、途中で断念してしまう。

「もう一度最初から、優しくなめらかに、自分のテンポで」

 瑞希の言葉を受け取った彼女は、ふたたび『天使の合唱』を弾く。生きているころにはそのように弾くことができなかっただろう完璧なテンポで。美しいピアノの音色が広間に響きわたる。レースカーテンが微風に揺れている。床に座り込んだままのフジエは、静止したまま妹の姿をみつめている。
 このときキャメラは、フジエの正面から全身を映したショットに続き、同方向からフジエの胸元の上をアップで捉える。フジエの瞳は涙で濡れ輝いている。あの「奇妙な切り返し」の正面ショットが、いまここで反復されているのだ。この正面ショットがいかに強靭なものか、言葉で説明することはできない。小津安二郎や、小津を敬愛し正面ショットを好んだマノエル・ド・オリヴェイラによる画面の強度にまで達している、とだけはかろうじていえるだろう。正面ショットのみならず、黒沢清は、長い独白を含む一連のシーンを、現代日本映画の環境においてはこの上ない最善のショット構成で捉えることに成功する。撮影監督の芦澤明子のキャメラワークと、フジエを演じる村岡希美の演技は、複雑な長回しも含む監督の要請に見事に応えている。2010年代日本映画の最高の達成がここに現前している。
 
 フジエの妹は、はじめて最後まで完璧に『天使の合唱』を弾き終えると、瑞希の方へ振り返り、少し照れているようなぎこちなさで笑みを浮かべ、姿を消してしまう。広間に陽光の明るさが戻る。小鳥のさえずりが聴こえる。
 
 続くシーンで展開される、優介の浮気相手であった松崎朋子と瑞希の対話は、わずか5分ほどのごく短いものであるにも関わらず、見る者に鮮烈な印象を残す。東京に帰るバスの中で、朋子からの葉書を瑞希のカバンの中にみつけた優介と痴話喧嘩を繰り広げる瑞希は、ついに激昂し、わだかまりを残し続けていた問題に対して感情を爆発させ、朋子に会いに行く決心を固める。
 東京では歯科医として働いていた優介の職場である病院のロビーで落ち合った瑞希と朋子の会話は、横移動しつつのマスターショットと肩ナメの切り返し、そして正面切り返しというシンプルな構成でありながら、成瀬巳喜男を彷彿とさせるような一人の男をめぐる二人の女の辛辣な台詞の応酬と、朋子を演じる蒼井優の悪魔的な演技によって一度見たら忘れられないほど強烈な印象を観客に叩きつけてみせる。とりわけ、あなたに夫婦関係の複雑さは理解できまい、と抗議する瑞希に対して、自分も結婚しておりさらには妊娠中の身でもあることを明かす朋子の正面ショットでは、不敵な微笑を湛えた彼女の瞳の奥にギラつくどす黒い何か、究極の深淵とも呼べそうな何かに思わず吸い込まれてしまいそうになるほどだ。たった5分ほどのシーンで、蒼井優は『岸辺の旅』の中で誰よりも印象に残る演技をみせつけるのである。

「きっとこれから、死ぬまで平凡な毎日が続くんでしょうね。でも、それ以上に何を求めることがあります?」

 計らずも深淵を覗き込んでしまい、朋子に一矢報いることもできぬまま家路につくが、そこに優介の姿はなく、またも生の熱量を失いかける瑞希は、突然目を見開き、慌ただしく白玉団子を作りだす。こうすればきっと優介はまた帰ってきてくれるに違いない。瑞希はテーブルに二粒の団子を用意し、それを凝視しつつただじっと座って待っている。すると突然、薄暗いキッチンのテーブルの上に団子があるだけの映像にオーケストラの劇伴が流れはじめる。クラリネットとファゴット、そしてフルートが、歓びを高めてゆくような、控えめなファンファーレのような旋律を告げるのだ。瑞希は歓喜に打ち震えるように瞳に涙をため、吐息を震わせ右斜め上方をみつめる。視線の先に優介が現れたのか。そうではない。瑞希の顔は後ろへ振り返る。しばらくの間ののちに、やはり靴を履いた足音で優介が奥の部屋からゆっくりと姿を現す。
 奇跡を予告するように劇伴が先回りして流れはじめるという例なら他にもあるだろう。しかし、ここで信じがたいのは、瑞希が劇伴を聴いているということだ。映画の中の人物が劇伴を聴いてしまうという、暴挙としか言いようのない事態がここで起こり、それによって瑞希は観客と同時に優介の再臨を「予感」するのである。
 この暴挙とよく似たショットを持つ映画をご存知か。ジョン・フォードの『駅馬車』である。あの名高いインディアンの奇襲の場面。壮絶な銃撃戦が続くが、応戦するための銃弾が尽きた。残るはたった一発のみ。多勢に無勢。万事休す。男は頭の皮を剥がれ、女はインディアンの嫁として連れ去られるだろう。絶望極まれり。せめてもの情けとして最後にできることといえば、残された銃弾で女をあの世に送ってやることぐらいしかあるまい。恐怖のあまり精神の均衡を失い、何やらぶつぶつ呟いている女の頭部に男は拳銃の先を向け、撃鉄を起こすが、インディアンの銃弾の方が一瞬早く男を貫く。男の手から拳銃がこぼれ落ちる。すると、どこからともなくラッパの音が鳴り響く。女は、その先には何もないはずの右斜め上方へと視線をやる

「ねえ、聴こえる?あの音が。ラッパよ、突撃ラッパよ!」

 女が精神の均衡を取り戻し、騎兵隊の救助の手が間一髪で間に合ったことに気づくこのショットで、「突撃ラッパ」は、音響の質的に戦闘の最中鳴り続けていた劇伴の展開の一部として聴こえるように処理されている。この時代の技術であっても、例えば劇伴の音をフェードアウトさせ、「突撃ラッパ」だけ鳴らすことで現実音として観客に分かり易く解釈させることも可能だったろう。しかしここでは、女の表情と台詞によってその音が意味するところを伝えるために、あえて劇伴と「突撃ラッパ」を区別させない音響の演出が実践されているのだ。つまり、『駅馬車』においても『岸辺の旅』同様に、映画の中の人物が半ば劇伴を聴いてしまっているのである。劇伴を聴き、その先には何もないはずの右斜め上方をみつめる二人の女。この類似を単なる偶然の一致として済ませてしまってはなるまい。

 

 

4.「また、会おうね」


 二人が最後に訪れる場所は、優介が私塾を開いていた山奥の村である。村で二人の住居を世話することになる快活な老人、星谷(柄本明)の孫である良太(藤野大輝)は、森の中にある夫婦滝を気に入っており、学校を抜け出してまで遊びに行くほどだという。ある日、良太の母親である薫(奥貫薫)が良太に弁当を持たせ忘れ、瑞希が届けることになる。学校にいないのなら、きっと滝です。よく行ってるみたいなんです。何が面白いんだか。
 瑞希が滝を訪れると、やはり良太がそこにいる。良太は弁当に関心を示さず、夫婦滝の伝承について話しはじめる。

「あそこの黒い部分見える?洞窟、あれね、死んだやつの通り道なの。あの世とつながってんの。ほんとだよ」
「そうか、あの人はここから来たんだ」

 瑞希は、優介が現世に帰還した謎について思いを馳せる。あくる日またも弁当を良太のもとに届けることになった瑞希は夫婦滝を再訪するが、そこにいたのは良太ではなく、亡くなったはずの瑞希の父親(首藤康之)であった。
 ここで想起させられるのは、ロバート・ゼメキスの『コンタクト』である。『コンタクト』でジョディ・フォスターが演じる地球外知的生命体探査プロジェクトの研究者もまた、瑞希同様早くに父親を失うが、彼女がついに遭遇した地球外知的生命体は亡き父の姿を借りて現れたのだった。瑞希が滝で父と再会するのに対し、『コンタクト』での遭遇は浜辺である。いずれも水辺を舞台として超越的なシーンが演じられているのである。さらにこの類似は、再開した私塾で、優介が光や宇宙をめぐる講義を行うことともつながるだろう。
 
「きっと宇宙ははじまったばかりなんです。みなさんは幸運にも、この誕生したばかりの若々しい宇宙に生まれることができました。これって凄いと思いませんか。計算によると、28億年後には、地球の温度が140度まで上がって人が住めなくなり、40億年後には銀河系とアンドロメダ銀河が衝突することになるんですが、まあこれはほんの些細な出来事なんでしょう。宇宙はこれで終わるんじゃない。ここからはじまるんです。我々はそのはじまりに立ち会っているんです。俺はそう考えるだけで、すごく感動します。生まれてきて本当に良かった。それがこの時代で、本当に幸運でした」

 一方『コンタクト』で地球外知的生命体と遭遇を果たしたものの、記録機器の異常によって証明が不可能となり、彼女の遭遇体験が妄想によるもので実際には宇宙にすら行っていないと政府委員会から糾弾されるジョディ・フォスターは、瞳に涙を湛えながら次のように抗弁する。

「経験したのは確かです。証明も説明もできません。けれど、私の全存在が事実だったと告げています。あの経験は私を変えました。宇宙のあの姿に、我々がいかに小さいかを教わりました。同時に我々がいかに貴重であるかも。我々はより大きなものの一部であり、決して孤独ではありません。そのことを伝えたいのです。そして、ほんの一瞬でもみんなに感じてもらいたい。あの畏敬の念と希望とを」

 『岸辺の旅』での講義と『コンタクト』での政府委員会の両者に共通するのは、それが単なる宇宙論ではなく、映画体験をめぐる挿話として読み替えることができる点である。
 映画見ることとは、1秒間に24コマもの速度で流れ去るフィルムを通過し、巨大なスクリーンに反射した光の絶え間ない蠢きを視て、また同時並行的に絶え間なく流れ続ける音響を聴きもするという人間の知覚の情報処理能力を遥かに逸脱した体験に他ならない。ひとりの人間の視覚と聴覚がそれらの全瞬間を認識し、記憶することなど不可能である。そのような本来的に不可能性を孕んだ個人の映画体験なるものを客観的に正当化し、証明し、説明することなど誰にもできはしない。光などしょせん質量0の、ほとんど無に等しい粒の集合体でしかなく、光から成る映画などしょせん無が織りなす単なる幻想でしかないと言われればそれまでだろう。
 しかし「私」という主観は確かにそれを「経験」した。人間の魂と、それを包み込む愛としか呼びようのない何かがそこには確かに映っていた。その事実を、いまこの瞬間も「私」の「全存在」が告げている。その有様に「我々がいかに小さいか」、「我々がいかに貴重であるか」、そして同時に我々がいかに「孤独」でないかも教わった。その「経験」は「私」という存在を変化させもした。
 宇宙の歴史と比較するまでもなく、この世に生まれてからたったの126年ほどしか経っていない映画は「これで終わる」のではなく「ここからはじまる」。いままさに「我々はそのはじまりに立ち会っている」。

 現世での存在の終わりを迎えつつある優介は、苦痛に蝕まれながら村での役目を果たすと、瑞希に支えられながら、とある浜辺を訪れる。そこはおそらくは優介の本来の身体が眠っている海なのだろう。これから「ここよりももっときれいな場所」に行くという優介に、行かないで、うちに帰ろう、と懇願する瑞希は、優介の身体を強く抱きしめる。空を舞う鳶の影が横切る。

「ちゃんと謝りたかった。でもどうやって謝ればいいのか、ずっとわからなかった」
「望みは叶ったよ」
「そうか」
「また、会おうね」
「うん」

 会話を終えると、優介の姿は消えた。瑞希は、その時が来たら燃やす約束だった100枚の祈願書に火をつけた。瑞希は振り返り、荷物を抱え歩き出した。キャメラはゆっくりと上昇し、入り江の岩や樹、海と空を映した。よく晴れた日だった。

M.K.へ

(スタッフT.M.)

 

 

(C)2015「岸辺の旅」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

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【バレンタイン特集】シネマの小さな恋人たち

2022/02/10

 今年も恋の季節がやってきた!!2/14はバレンタインデーということで、今回の「どれ観よ PICK UP」ではビデックスで配信中の恋愛映画をご紹介します!!大島渚黒沢清井口奈己是枝裕和岩井俊二といった日本映画史に足跡を残す作家に加え、現代日本映画で青春を撮らせたら右に出る者はいない三木孝浩、黒沢清や瀬々敬久作品での充実した助監督経験を自身の監督作に結実させる菊地健雄、立教大学と東京藝大大学院で映画を学んだ1991年生まれのいま最も次回作が期待される若手竹内里紗といった腕利き監督たちの要注目作品が揃っております。
 また洋画では、ジャック・ドワイヨンフィリップ・ガレルアッバス・キアロスタミといった巨匠たちはもちろん、現代アメリカ映画を騒がせるスパイク・ジョーンズデレク・シアンフランスジョシュ・サフディベニー・サフディ兄弟、トレイ・エドワード・シュルツ、さらにはアジア映画に新しい風を巻き起こすウェイ・ダーションデレク・ツァンリム・カーワイらも集結!!ドキュメンタリーでありながら紛れもない恋愛映画の傑作である『イングリッド・バーグマン~愛に生きた女優~』も特別枠でご用意しました!!
 恋愛中の方もそうでない方も、今月はビデックスで恋愛映画の世界に浸ってみては? (スタッフT.M.)

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(C)2014「ニシノユキヒコの恋と冒険」製作委員会(C)大島渚プロダクション(C)2015「岸辺の旅」製作委員会/COMME DES CINÉMAS(C)2009 業田良家,小学館,『空気人形』製作委員会(C) 2004 Rockwell Eyes・H&A Project(C)みちていく(C)2010年 浅野いにお・小学館/「ソラニン」製作委員会Copyright(C)2013 Untitled Rick Howard Company LLC. All Rights Reserved.(C) 2019 Flarsky Productions, LLC. All Rights Reserved.(C)2020 PS FILM PRODUCTION, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.(C)2019 A24 Distribution, LLC. All rights reserved.(C)2010 HAMILTON FILM PRODUCTIONS,LLC ALL RIGHTS RESERVED(C) 2011 Focus Features LLC. All Rights Reserved.(C)Mantaray Film AB. All rights reserved.(C) 2014 SBS PRODUCTIONS – SBS FILMS – CLOSE UP FILMS – ARTE FRANCE CINEMA(C) 2019 9375-5809 QUÉBEC INC a subsidiary of SONS OF MANUAL(C) British Broadcasting Corporation /Number 9 Films (Chesil) Limited 2017(C)The Bureau Film Company Limited, Channel Four Television Corporation and The British Film Institute 2014COPYRIGHT (C) 2014 BOVARY DISTRIBUTION LTD. ALL RIGHTS RESERVED.(C) 2014 – Albertine Productions – Cine-@ – Gaumont – Cinefrance 1888 – France 2 Cinema – British Film Institute(C) 2011 Productions Café de Flore inc. / Monkey Pack Films(C)Rizoma Films(C)1994 Ciby 2000 – Abbas Kiarostami(C)Lim Kah Wai / Duckbill Entertainment(C) 2014, Hardstyle, LLC. All Rights Reserved.(C)2008 ARS Film Production. All Rights Reserved.(C)2019 Shooting Pictures Ltd., China (Shenzhen) Wit Media. Co., Ltd., Tianjin XIRON Entertainment Co., Ltd., We Pictures Ltd., Kashi J.Q. Culture and Media Company Limited, The Alliance of Gods Pictures (Tianjin) Co., Ltd., Shanghai Alibaba Pictures Co., Ltd., Tianjin Maoyan Weying Media Co., Ltd., Lianray Pictures, Local Entertainment, Yunyan Pictures, Beijing Jin Yi Jia Yi Film Distribution Co., Ltd., Dadi Century (Beijing) Co., Ltd., Zhejiang Hengdian Films Co., Ltd., Fat Kids Production, Goodfellas Pictures Limited. ALL Rights reserved.(C)ARCHETYPE CREATIVE LTD all rights reserved(C) 2003 チルソクの夏製作委員会

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冬時間の映画たち

2021/12/17

 「映画の父」と呼ばれもするデヴィッド・ウォーク・グリフィスが『東への道』(1920)でリリアン・ギッシュを河上の流氷に横たわらせて以来、映画において冬という季節は、その苛酷な冷たさによってしか映し出すことのできない強度に支えられた美を私たち観客の瞳にもたらしてきました。『河内山宗俊』(1936)で原節子演じるお浪が、弟の過ちによって要求された途方もない額の借金を肩代わりするべく、ついに自ら身売りする決意を固める場面で、原節子の横顔を捉えたクロースアップの奥を、唐突に降り出した雪の粒が静かに輝きながらゆっくりと舞い落ちるという、おそらくは映画史上最も純粋な悲劇的美に満ちたショットを日本映画へ与えたのも冬のイメージだったのです。満遍なくあたりを照らし出す薄曇りの鈍い陽光や、見渡す限りの大地を覆い尽くす雪原の目が眩むほどの白さ、あるいは、漆黒の暗闇に包まれた人ひとり見当たらぬ真夜中に街灯が浮かび上がらせては消えてゆく雪の粒ひとつひとつが、何もかもから見放され絶望と孤独の苛酷な冷たさにうち震える人間の、それでもなお失われぬ尊厳に満ちた魂を、ただ静かに包み込むことで擁護する。そんな光景と出くわした孤独な観客のひとり──『カイロの紫のバラ』(1985)のミア・ファローや『マッチ工場の少女』(1990)のカティ・オウティネンのような──が、その一瞬だけは苛酷な現実の何もかもを忘れ、言葉では説明しようのない、魂の昂揚としか呼びようのない何かを全身で受け止め、いつのまにか、目の前の光景がいつまでも続くように願っている自分を不意に発見してしまうことの戸惑いと興奮に引き裂かれる。映画を見るということは、たとえばそんなことだったりするのではないでしょうか。
 というわけで、今回の「どれ観よ PICK UP」では、ビデックスで配信中の「冬」に関する映画をたっぷりとご紹介します!あなたにとって特別な「冬」がきっとどこかで待っているはず!!ぜひ探してみてください!!(スタッフT.M.)

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ヒューマンドラマ

邦画

戦争

ドキュメンタリー

クリスマス

SF、ファンタジー、サスペンス、ホラー、サバイバル

(C) CG CINEMA / ARTE FRANCE CINEMA / VORTEX SUTRA / PLAYTIME(C)Les Films du Fleuve(C) LES FILMS DU FLEUVE – ARCHIPEL 35 – SAVAGE FILM – FRANCE 2 CINÉMA – VOO et Be tv – RTBF (Télévision belge)(C) 1991 Locus Solus Inc.(C)2013 Guy Ferrandis / SBS Productions(C)2008-2929 Productions LLC(C)2013 Paramount Pictures. All Rights Reserved.(C)2012 Long Strange Trip LLC(C) 2017 AMAZON CONTENT SERVICES LLC(C) Pastorale Productions- Studio 99(C) BAFIS and Tremora 2017(C) 2018 Zeyno Film, Memento Films Production, RFF International, 2006 Production, Detail Film, Sisters and Brother Mitevski, FilmiVast, Chimney, NBC Film(C) 2014 Pyramide / LM(C)2017 NON-STOP PRODUCTIONS – WHY NOT PRODUCTIONS(C) 2015 NEUE ROAD MOVIES MONTAUK PRODUCTIONS CANADA BAC FILMS PRODUCTION GÖTA FILM MER FILM ALL RIGHTS RESERVED.(C)2017 JEONWONSA FILM CO. ALL RIGHTS RESERVED.(C)2015 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.(C)2018 Xstream Pictures (Beijing) – MK Productions – ARTE France All rights reserved.(C) Mosfilm Cinema Concern, 2017(C)2018- BBP WEST BIB, LLC(C) 1985 AB Svensk Filmindustri. All rights reserved.(C)2009 浅生ハルミン/『私は猫ストーカー』製作委員会(C) 2010 佐藤泰志/『海炭市叙景』製作委員会(C)大島渚プロダクション(C)2017 MLD Films/NOBO LLC/SHELLAC SUD(C)TABITOFILMS・マガジンハウス(C)吉本興業 (C)小山健/KADOKAWA(C)2013「おしん」製作委員会(C) Reliance Entertainment Productions Scandi Ltd(C) 1989 Finnkino(C)2014 MAKHMALBAF FILM HOUSE PRODUCTION, 20 STEPS PRODUCTIONS, PRESIDENT FAME LTD/FILM AND MUSIC ENTERTAINMENT, BAC FILMS PRODUCTION, BRUEMMER UND HERZOG FILMPRODUKTION(C)GROUP GENDAI(C)COTN Productions Inc.(C) 2014 Gallery Film LLC and Ideale Audience. All Rights Reserved.(C)2014 Lifetime Entertainment Services, LLC. All rights reserved.(C) CINEMAGIC 2015. All Rights Reserved.(C)2015 ミライ・ピクチャーズ・ジャパン(C) Good Tidings 2016(C) FunHouse Features 2016COPYRIGHT(C) 2018 PENDER PRODUCTIONS INC. ALL RIGHTS RESERVEDCopyright (C)2019 C/P UP Productions Inc.COPYRIGHT (C)1991 TWENTIETH CENTURY FOX. ALL RIGHTS RESERVED.(C) BPS TWINKLE PRODUCTIONS INC(C) BAH HUMBUG FILMS INC & PARALLEL FILMS (TMWIC) LTD 2017(C)KENJI STUDIO(C) 2019 Why Not Productions – Arte France Cinéma(C)2016 SVE BMP Safe Holdings Pty Ltd(C) 2017 – LEGENDAIRE – GAUMONT – CHEZ WAM – FRANCE 2 CINEMA – NEXUS FACTORY – UMEDIA(C) 2017 Proportion Productions, Ltd. All Rights Reserved.(C)2015 Bazelevs, All Rights Reserved.(C)CTB Film Productions 2010(C) KINODANZ(C) 2020 SOLAR MEDIA LIMITED, LAUREL DIGITAL MEDIA, All Rights Reserved(C)2005 IMPictures/Sidus-dist.(C)2020 CENTIGRADE LLC, ALL RIGHTS RESERVED(C) 2015 Dead Wait Productions LLC. All Rights Reserved.(C) 2011 MPI MEDIA GROUP・SCAREFLIX #9(C)2016 Thorium 7 Films All Rights Reserved(C) 2016 WIZART FILM, LLC(C) CTB Film Company, 2018(C)Twilight Pictures & Production Services Inc,2012

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【芸術の秋】アート×フィルム特集

2021/09/10

 

 「総合芸術」と呼ばれる映画は、音楽、文学、演劇、絵画、建築といった、これまで人類が生み出してきたあらゆる「芸術」を吸収することによって、巨大な発展を遂げてきました。いま私たちが当たり前のように受け取っている映画の映画らしさは、決して映画単独で生み出されたのではなく、人類の途方もない遺産の土台の上で構築され、成立してきた結果だともいえるでしょう。だからこそ映画を見るとき、私たちは常に古今東西あらゆる歴史に開かれた窓を覗いているのではないでしょうか。
 というわけで今回は、ビデックスJPで配信中の「芸術」に関する映画作品をたっぷりご紹介します。秋の静けさの中で、「芸術」の奥深さにどっぷり浸ってみては?(スタッフT.M.)
 
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フィクション×アート

ドキュメンタリー×アート

モノクロ作品

ファッション

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(C)Filmes Do Tejo II, Eddie Saeta S.A., Les Films De l’Apres-Midi,Mostra Internacional de Cinema 2010(C) Casa Azul Films – Ecran Noir Productions – 2018(C)2002 Hermitage Bridge Studio & Egoli Tossell Film AG(C) CG CINEMA / ARTE FRANCE CINEMA / VORTEX SUTRA / PLAYTIME(C) 2014 InterActiveCorp Films, LLC.(C) CONDOR FEATURES. Zurich / Switzerland. 1988(C)2017 Plattform Produktion AB / Societe Parisienne de Production / Essential Filmproduktion GmbH / Coproduction Office ApS(C)2010 Paranoid Pictures Film Company All Rights Reserved.(C)2010 Beginners Movie,LLC. All Rights Reserved.(C)2016 In Search of Fellini.LLC.All Right Reserved(C) 2014 Sea Urchin Films(C)TvZero(C) 2016 – G FILMS –PATHE – ORANGE STUDIO – FRANCE 2 CINEMA – UMEDIA – ALTER FILMS(C) 2014 EG Film Productions / Saga Film (C) Julian Lennon 2014. All rights reserved.(C)2009 – ALEPH MEDIA(C)Aparte Film, Sacrebleu Productions, Mind’s Meet(C)ELEFILM – SOPROFILMS – T.S.F. PRODUCTIONS – CINE 5 – 1988(C)B.B.B.(C)Hermitage Revealed c Foxtrot Hermitage Ltd. All Rights Reserved.(C)VICE MEDIA LLC AND STRAIGHT OP FILMS(C)2016 A&E Television Networks and RatPac Documentary Films, LLC. All Rights Reserved.(C)2019DiscoursFilm(C)2018 – 3D Produzioni and Nexo Digital – All rights reserved(C) 2014 Gallery Film LLC and Ideale Audience. All Rights Reserved.(C) 2017 Epicleff Media. All rights reserved.(C) 2016 Rivertime Entertainment Inc.(c ) 2018 pictures dept. All Rights Reserved(C) 戸山創作所(C) Roloff Beny / Courtesy of National Archives of Canada (C) Courtesy of the Peggy Gugggenheim Collection Archives, Venice(C)All M.C. Escher worksCopyright 2020 Osaka University of Arts. All Rights Reserved.(C) CDP/ARTE France/Bophana Production 2013-All rights reserved(C)DelangeProduction 2016(C) 1963 IMEC(C) 1966 IMEC(C) 1968 IMEC(C) 2016 Aamu Film Company Ltd(C)1960 STUDIOCANAL – Argos Films – Cineriz(C)大島渚プロダクション(C) 2019 ALL RIGHTS RESERVED SILVER SCREEN CESKCA TELEVIZE EDUARD & MILADA KUCERA DIRECTORY FILMS ROZHLAS A TELEVIZIA SLOVENSKA CERTICON GROUP INNOGY PUBRES RICHARD KAUCKY(C) Northsee Limited 2007(C)Pine District, LLC.(C)1964 F&F PRODUCTIONS, INC. ALL RIGHTS RESERVED.(C)1963 F&F PRODUCTIONS, INC. ALL RIGHTS RESERVED.(C)1957 MELANGE PRODUCTIONS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.(C) 2014 SBS PRODUCTIONS – SBS FILMS – CLOSE UP FILMS – ARTE FRANCE CINEMA(C)2013 Guy Ferrandis / SBS Productions(C)Ciudad Lunar Producciones(C)O SOM E A FURIA,KOMPLIZEN FILM,GULLANE,SHELLAC SUD 2012(C)2005表現社(C)2013 Paramount Pictures. All Rights Reserved.(C)1974 KANOON(C) 1995 Twelve Gauge Productions Inc.(C)2017 JEONWONSA FILM CO. ALL RIGHTS RESERVED.(C)Copyright 2010 LES FILMS DU LENDEMAIN – LES FILMS DE PIERRE – FRANCE 3 CINEMA(C) 2014 MOJO ENTERTAINMENT LLC Authorised by The World Licence Holder Aram Designs Ltd.,(C) 2014 EG Film Productions / Saga Film (C) Julian Lennon 2014. All rights reserved.(C) 2014 WAW PICTURES All Rights Reserved.(C)2014 NEXT ENTERTAINMENT WORLD Inc. & YLAB Co.Ltd. / NOMAD FILM Co.Ltd. All Rights Reserved.(C)2013 BLACK DYNAMITE FILMS,TARKOVSPOP(C)The New York Times and First Thought Films.(C)2012 BG PRODUCTIONS,LLC. ALL RIGHTS RESERVED.(C) Bufo Ltd 2015(C)2014 Schatzi Productions/Filmhaus Films. All rights reserved(C) 2016 – G FILMS –PATHE – ORANGE STUDIO – FRANCE 2 CINEMA – UMEDIA – ALTER FILMS(C)2017 mint film office / AVROTROS(C) Raymi Hero Productions 2017(C) 2019 HIGH SEA PRODUCTION – THE INK CONNECTION – TAYDA FILM – SCOPE PICTURES – TRIBUS P FILMS — JOUR2FETE – CREAMINAL – CALESON – CADC(C)2016 CG Cinema – VORTEX SUTRA – DETAILFILM – SIRENA FILM – ARTE France CINEMA – ARTE Deutschland / WDR(C) ROOK FILMS FABRIC LTD, THE BRITISH FILM INSTITUTE and BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2018

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「夏の光をめぐって」 ジャン・ルノワール、大島渚、相米慎二、ミゲル・ゴメス、ジェフ・ニコルズ、ホウ・シャオシェン

2021/08/20

 世界で初めて一般観客へ向けて上映された映画作品とされる『工場の出口』(1895)をルイ・リュミエールが撮影したのは、1894年の夏のことだったと言われています。このたった50秒の色も音もないワンショットの映像が人々の瞳に焼き付いて以来今日に至るまで、無数の映画作品が夏の光によって恩寵を授かってきました。いくら技術が発展し、色が着き、音が鳴り、キャメラが動き回り、映像がいくつものショットに分裂し、さらにはフィルムからデジタルデータへ姿を変えたとしても、いまだ映画にとって夏の光が特別なものに思われるのは、120年以上も前のあの日、まさに産声を上げようとしていた瞬間の遥かな記憶を、映画がいまもなお留め続けているからに他ならないのではないでしょうか。
 国籍も時代も関係なく、夏を映した映画であればそれを見たときにはいつでも感じるあの郷愁のような、胸が躍るようでいてどこか寂しげな不思議な感覚の秘密は、ひょっとしたらそんな映画の出自に纏わる記憶に隠されているのかもしれません。
 というわけで今回の「どれ観よ PICK UP」は、ビデックスJPで配信中の作品から厳選した夏映画の傑作6作品をご紹介します!!

ジャン・ルノワール『ピクニック』(1936)

あらすじ
 夏のある晴れた日。輝く太陽、匂い立つ草、穏やかな水面、幸せなピクニックの一日はきらきらと輝いていた。結婚を控えた娘アンリエットは自然に導かれるように、現地で出会った青年アンリと結ばれる。永遠に消えることのない一瞬の輝き。そして待ち受ける別れと再会。人生のすべてと美が結晶した奇跡の映画。

コメント
 戸外と室内、晴天と雨天、男と女、歓びと悲しみ、美しさと醜さ、無垢と欲望、通俗と芸術、静止と運動、饒舌と沈黙、光と影、永遠と一日。『ピクニック』とは、映画のあらゆる相対する事物や感情が互いに開かれるための窓であり、と同時に、その窓をときには微かに、ときには荒々しく吹き抜ける官能の風である。そしてその風はいつしか強大な竜巻のように渦を巻きはじめ、ちょうど『オズの魔法使』(1939)でジュディ・ガーランドが避難した部屋が宙空へ吹き飛ばされるように、あなたがいまいるその部屋までも、誰も見たことのない虹の彼方へと運んでゆくだろう。いささかロマンティックに過ぎる言いぶりだろうか。そう思われる方は一度この作品を見て、ブランコに揺られるシルヴィア・バタイユの輝きに不意撃ちを喰らってみてはいかがか。全世界の大気を揺るがすほどのショットというものがあるのだ。
 ブランコだけではない。このたった40分間の、あらゆる瞬間が驚きに満ちている。ジャン・ルノワールは形式ではない。一つたりとも予測しえないショットの連鎖であり、運動だ。誰もが無意識の中で待ち望んでいる途方もない何かが、いままさに眼前に姿を現わそうとしている瞬間の高揚と恐怖だ。
 映画はまだ自分が何者かさえ分かっていない。生まれたばかりの映画は、目に映る光景、鼓膜を震わせる音、指先に触れる物一切に驚いている。いったい映画はこれから何者になるのだろうか。この大嵐がやってくるような予感は、いったい何だろうか。
 人にそんな思いを抱かせる映画を作るのは、ジャン・ルノワールだけなのだ。

大島渚『夏の妹』(1972)

あらすじ
 大島渚最後のATG映画。素直子は父の婚約者でピアノの家庭教師でもある桃子と本土復帰直前の沖縄にやってきた。数ヶ月前、素直子は大村鶴男と名乗る沖縄の青年から手紙をもらい、自分たちは兄妹かもしれないというので、鶴男を訪ねて沖縄にやってきたのだった。下船した素直子はさっそく観光客に沖縄語を教えて金を稼ぐ青年と知り合い、親しくなる。実は彼こそが鶴男なのだが、彼は庭先で見かけた桃子を素直子だと勘違いしているので、二人はお互いに気づかないまま、すれ違いを繰り返していく。一方、沖縄人に自分を殺してほしいと、その相手を探す老人がいる反面、本土の人間を殺したいと願い、相手を探す男がいる。三世代それぞれの者たちの思いは交錯し、沖縄の青い空に溶け込んでいく……。

コメント
 本土から沖縄へ向かうべく足早に進む船のへりから海を見下ろした映像だろうか。ファーストショット。海面の青と波しぶきの白に浮かび上がる深紅のタイトル。どんな映画で見たよりも濃い青と白と紅に恍惚とする暇もなく、武満徹による映像と物語に従属することを断固として拒否するかのようなあまりにも和やかな旋律をいったん耳にしてしまえば、その後95分間は大島渚の「挑発」がもたらす快楽から逃げることはできないだろう。
 栗田ひろみの小動物的可憐さや、りりィの日本人離れした顔貌と裸体の曲線美、殿山泰司のてかり顔の猥雑さ、佐藤慶の鋭すぎる眼光といった魅力の数々は、それぞれ生半可な調和を受け入れることなく、むしろ沖縄の夏の陽射しに照らされながらコントラストを強めていき、次第に小山明子の不敵な微笑みが象徴するような「挑発」の巨大な肖像を浮かび上がらせる。大島渚の政治学とは、つまり、まるで嵌りそうにない形状のピース同士をあえて並べては力づくではめ込んでみせ、その折れ曲がったピースの隆起と陥没の手触りによって観客の知覚を「挑発」することである。ところで、そのようにして出来上がったパズルの総体のいびつさは、極東のどこかに位置する某国家の政治とよく似てはいないだろうか。

相米慎二『夏の庭-The Friends-』(1994)

あらすじ 
 神戸に住む小学6年生のサッカー仲間、木山諄、河辺、山下の3人は、人が死んだらどうなるかに興味を抱き、きっともうじき死にそうな近所に住む変わり者の老人・傳法喜八(三國連太郎)を観察することにした。朽ちた屋敷に忍び込み老人の日々を観察する。初めは子どもたちを邪険に追い払う喜八だったが、次第に優しく接するようになり、彼らとの交流が始まり、やがては子どもたちも庭の手入れを手伝うようになる。喜八は徐々に子ども達に自分の過去を語りだす。分かれた妻、戦争の残酷な体験・・・喪われ逝くものと、決して失われないものに触れた少年たちのひと夏の物語。

コメント
 いつどこで見たのかはっきりとは覚えておらず、物語も、ほとんどあらゆる細部も記憶から遠ざかってしまったにも関わらず、たった一つのショットだけは鮮明に記憶の表層に焼き付いたままでいるということがある。『夏の庭』で、三國連太郎演じる老人の死体を少年たちが発見し、動揺し、悲しみに暮れるというワンショットがその一つである。動かぬ老人に救命措置を試みるも時すでに遅し、脈が止まっているのを確認してようやく老人の死を少年たちが受け入れるに至る、その過程を相米はワンショットで捉えるのだが、仰向けに倒れた三國連太郎の腹がはっきりと上下に動いているのだ。キャメラワークを工夫すれば、あるいはカットを割れば映すのを避けることができたはずの腹の動きを相米は隠そうとせず、あえて観客に提示してみせる。
 『不滅の女』(1963)について、ヒロインの女は物語的に死んだのかどうかを尋ねられたアラン・ロブ=グリエが「役者を殺すはずがない」と身も蓋もなく答えたように、フィクションとしての映画は現実的な死を捉えることは絶対にできない(例えば人が本当に死ぬ瞬間を撮影したとしても死そのものは映らない)が、しかし、その不可能性に自覚的であってはじめて死を想像するためのイメージと運動を捉えることができるのだ。この現実的な不確かさと想像的な確かさの臨界点へとあえてキャメラを向けんとする態度こそが、相米の倫理なのである。

ミゲル・ゴメス『熱波』(2012)

あらすじ
 二人の恋は、ひりつく夏の日差しのように、熱く燃えあがって終わりを告げた。けれどその想いは、互いの胸の中で一生消えはしなかった。気性が粗く、ギャンブル好きの老婆アウロラ。彼女は、なかなか会いに来ない冷たい娘の事を気に掛けながら、お手伝いのサンタと、何かと世話を焼いてくれる隣人のピラールを頼りに暮していた。ある時、病に倒れたアウロラは、自分に死が迫っている事を知り、突然ヴェントゥーラという男を呼んでほしいと言い出す。ピラールは訳も分からず、消息不明のヴェントゥーラ探しに奔走する。二人には、ある約束があったのだ。そして50年の時をさかのぼり、二人が若かりし頃に出会ったアフリカ-タブウ山の麓での、胸を焦がすような熱い記憶が甦る。

コメント
 ミゲル・ゴメスをご存じだろうか。ポルトガルはおろか、世界を見渡してもいまや数人しかいないほど貴重な、真に女優を撮ることができる映画作家である。「女優を撮ることができる」とは、どういうことか。それは「完璧なショットを撮ることができる」とほぼ同義であるとひとまず言うことができる。
 アヴァンタイトルの短い寓話からはじまり、老女(アウロラ)とその召使、そして老女の唯一の理解者である隣家の中年女性という三人の女が演じる前半部分のショットはいずれも「完璧」である。スタンダードサイズの端正な構図の中のここしかないという位置で、光と影が絶妙なバランスで配されたライティングー40-50年代のハリウッドからそのまま射してきているかのようなーを受け止めながら佇む女たちのショット。この35mmフィルムで撮影されたモノクロのショットのすべてが文句のつけようのない完璧さで見る者を穏やかな興奮に誘う。
 と同時に、果たしてこのままでよいのだろうか、という一抹の不安が胸を過ぎる。この類の「完璧なショット」に作家が拘泥し、作品全編を貫いた結果として退屈さをもたらしてしまうという事態に幾度も立ち会ったことがあるからである。それを乗り越えるほどの強度ー例えばペドロ・コスタの『ヴィタリナ』(2019)ようなーを『熱波』のショットは持ち合わせていないように見えてしまうだ。
 そんな不安を見透かしたかのように、映画は孤独な死を迎えたアウロラの若かりし一時期の出来事を回想しはじめ、画面は16mmフィルムの粗い粒子に覆われる。そのとき、完璧だった構図は緩やかに崩れていき、キャメラはときに三脚から解き放たれ、それまでなかった躍動感が画面の隅々にまで行き渡っていく。回想の中の人物からは声が失われ、現在の時間からのモノローグだけが発声されることで、疑似的なサイレント映画の形式が立ち上がる。こうして2時間ほどの上映時間を大きく二つに分断してみせるミゲル・ゴメスは、かつて優れた短編作家であった自らの資質を把握しているかのようでもある。世界的に失われつつあるこの慎しい聡明さを持ち合わせているだけで、ミゲル・ゴメスを貴重な映画作家だと断じてしまいたい欲望にかられるのである。
 さらに、ミゲル・ゴメスの貴重さはこの聡明さに留まることはない。「完璧なショットを撮ることができる」ことと「女優を撮ることができる」ことの膠着した関係を、この16mmフィルムで撮影された後半部分であっさりと裏切ってみせるのだ。
 回想の中で、夫の子を身ごもりながら、夫とは対照的な野生的魅力に溢れる男と不倫関係に陥ったアウロラは、不意に訪れた男との別れを受け止めることができない。男との手紙だけのやりとりで互いにこの不義の関係を終わらせなければならないことを表明しあえばしあうほど、手の届かない愛情が激しさを増してゆくばかりだ。この禁止された愛の高まりに嗚咽し、打ち震え、言葉なしの涙を溢れさせるアウロラを捉えたショットーロネッツのBe My BabyをLes Surfsがスペイン語でカバーしたTú Serás Mi Babyが流れるーの素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。「望まれるのであれば、いつでもこの脈打つ心臓を差し出すわ」と手紙に書かれた言葉の通り、ここではいかなる打算、いかなる相対性とも無縁の唯一絶対の価値としての愛、つまりは、命がけの美が紛れもなく現前化している。決して「完璧な」画面たりえない16mmフィルムの粗い粒子に託された、痛ましく、暴力的なほどの美が。もしかするとミゲル・ゴメスが傑作『私たちの好きな八月』(2008)で捉えたあの若い女性の涙のショットを思い出す方もおられるかもしれない。そう、ミゲル・ゴメスは偶然このショットを撮りえたのではないのだ。自らの慎ましい聡明さという資質をいつ踏み外すべきか、大胆に飛躍すべきときはいつなのかということまでミゲル・ゴメスは心得ているのである。
 幸か不幸か再会を果たしたこの許されざる男女は、まさに命がけの美という呼び名に相応しく規範の道を踏み外し、最後の賭けに出るだろう。その果てにふと現れる一つのショットが、リュミエール兄弟によってベトナムに派遣されたガブリエル・ヴェールが撮影した『Le village de Namo : panorama pris d’une chaise à porteurs』(1900)と酷似しているという事態について思考しうる言葉を、人類はいまだ持ち合わせてはいない。

ジェフ・ニコルズ『Mud マッド』(2012)

あらすじ 
 アメリカ南部、ミシシッピ川中州にある小さな島が舞台。14歳の少年エリスとネックボーンは、その島に潜伏する奇妙な男マッドに出会う。マッドは2人に嘘か本当か、テキサスで殺人を犯し賞金稼ぎに追われているが、町で自分を待つ恋人ジェニパーに会うため助けを借りたいと話す。興味をもった少年たちは、マッドに協力することを決めるが…。

コメント
 この世には天使のように身も心も美しいヒロインなど存在しないし、世界を滅亡の危機から救う正義のヒーローも存在しない。ヒロインとヒーローによる脇目も振らない相思相愛の純愛が世界に希望を与えることもなく、あるのはただひたすら苦いだけの現実だ。社会のシステムに翻弄され、踏み躙られ、人間であることを否定され、否定性の只中に埋没しながら精一杯の歯軋りとともに残りの生を擦り減らす。他人よりも何ミリかはマシな人生を送るだけのために噓を吐き、裏切り、嫉妬し、疑い、出し抜き、蹴落とし、見捨て、引き攣った愛想笑いを浮かべる。人生など所詮そんなものだ。
 ハリウッドと呼ばれる夢の工場が機能不全に陥って以降、1970年代のアメリカ映画はそんな現実の苦さを、予算も技術も急速に失われていく映画の現実の苦さそのものを画面に生々しく露呈させる過程を通して物語るようになった。それからまた時は経ち、いまやスタジオを知る映画監督も技術者もみなこの世を去り、フィルムはデジタルに置き換えられ、その清潔な映像は崩壊の苦さの歴史などまるで存在しなかったかのようにスクリーンに映し出されている。
 整理整頓され、掃除され、漂白された情報で覆われた出口なしの世界。それこそいま私たちが生きる現実だ。ところがジェフ・ニコルズは、この出口なしの世界に風穴を開けることができると確信するように、35mmフィルムを回し続ける。ニコルズがこれまで監督した5本の長編映画(そのうち4本は2011年以降製作された)のいずれも35mmフィルムで撮影されているのだ。現在ニコルズが監督として抜擢されたと報じられている『A Quiet Place Part III』もかなりの確率で35mmフィルムによって撮影されることだろう。『クワイエット・プレイス』(2018)と『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』(2020)の2本を35mmフィルムによって撮り上げたジョン・クラシンスキーが3作目の監督に相応しい人物としてニコルズを選択したのは、ニコルズのフィルムへのこだわりとその達成をクラシンスキーが信頼していたからに他ならないはずだ。
 とりわけ『Mud マッド』でニコルズが作り上げた画面の質を見ると、フィルムの感触だけに頼った自堕落な「芸術作品」に留まるものではないことが分かる。ここではD.W.グリフィス以来の古典的なショットのつなぎ(古典的デクパージュ)が、現代映画としての新鮮さと矛盾することなく達成されているのだ。
 『Mud マッド』でマシュー・マコノヒーが初めて画面に姿を現すシーンを見てみよう。無人島を探検した二人の少年は、帰路を急ぐべく川べりに置いたボートに駆け寄る。ボートにたどり着いた少年の一人が自分らのものではない足跡を見つける。足跡の行く先を辿ってみると、砂浜の真中で足跡は途切れている。ボートの方へ振り返ってみると、そこにはついさっきまでいなかったはずの見知らぬ男が立っている。男は少年らへ向けて右手を上げ、言葉なしで挨拶する。
 このシーンにおける引きと寄り、同軸のつなぎと切り返し、視点ショットの挿入を組み合わせた20ほどの短いショットの連鎖は、心地よく観客の視線を誘導し、惑わしながらマシュー・マコノヒー演じる男の幽霊性を端的に表してみせる。絶景に彩られたわけではなく、無償の光が輝いているわけでもない、どこにでもありそうな砂浜を、このショットの連鎖によって、不穏かつ幻想的、そして決定的に忘れ難い出会いの場としてニコルズはあっさりと機能させてしまうのだ。
 中盤、両親の不和の中で少年が家出を決意するシーンの少年のクロースアップと部屋の窓の切り返しにしても、終盤で男が執着し続けた女とついに別れを告げるシーンの高低差と遠い距離を挟んだ無言の切り返しにしても、決定的に物語が動くシーンにおいてニコルズは、あえてどこにでもあるような現実的な場を選択し、端的で正確かつ新鮮なショットの選択によって純粋に映画的な空間に変貌させてみせる。
 ニコルズの作品が出口なしの現実に穴を穿つのはこういった瞬間だ。懐古趣味に陥ることなく冷静に歴史を見据え、現実と映画の苦さを取り戻したうえでさらにその先の、ボードレールの言う「この世の外」へ視線を馳せるのである。
 嘘と裏切りと嫉妬の果てに満身創痍の身体でついに船出した男が、相も変わらず苦いままの現実のその先に見据えるあの風景を、目を逸らすことなくしかと見届けていただきたい。

ホウシャオシェン冬冬の夏休み』(1984)

あらすじ
 1984年夏、冬冬(トントン)は妹の婷婷(ティンティン)を連れて、夏休みの期間中、祖父母の家に預けられることになった。目的地の銅鑼駅に降りたった二人を待っていたのは、村の少年たち。阿少國を初めとする少年たち。早速、仲良くなった友達がこれからの楽しい夏を予感させる。そして、一見厳しいが孫思いの祖父との交流、仲間たちとの川遊び、少し頭が弱いが婷婷を救ってくれた寒子(ハンズ)との出会い…田舎でのひと夏の経験は二人の心に忘れられない宝物を残してゆく―

コメント
 ここには自分の生が描かれている、と感じる映画の一本や二本は誰にでもあるだろう。『冬冬の夏休み』は私にとってそんな作品の一つである。それは決して、知的障害があり言葉を話さない我が妹を寒子に重ね合わせたり、親から妹の世話を託されながらも友人と遊びたい冬冬が妹の婷婷の存在を疎ましく思う感覚に似たものが幼い日の自分にもないわけではなかったことだけが理由ではない。
 最大の理由は、ホウ・シャオシェンのキャメラが「ずっと前からそこにあったような視点」で世界を捉えるからである。何百年か何千年か分からないが、いずれにせよ映画が誕生するずっと前から、そこに暮らす人々や家、動物、樹木、川、山といった土地の風景を、遠すぎも近すぎもしない距離から見つめ続けてきた精霊のような存在の視点。幾度となく繰り返されてきた生と死の営みを、審判することなく、物語ることもなくただ単に見つめるだけの視点。と同時に、台湾など行ったこともないのに、まるで自分がかつてそこで暮らしていたかのような錯覚に眩暈を覚えるような、そんな視点。ホウ・シャオシェンはまさにその場所にキャメラを置く。

 寒子の話をしよう。寒子はいつでも傘をさしている。紫色と水色の傘を、雨の日も、晴れの日も。寒子は言葉を話さない。子供たちは寒子の奇矯な様子を恐る恐る観察してはひそひそ笑い合う。大人たちは寒子が不幸な人だと言う。愚かな鳥狩りの男は抵抗も告げ口もしない寒子を犯し、子を孕ませもする。それでも寒子は動じない。いつものように傘をさして歩きたい道を歩き、いつもの木陰の道祖神にお祈りし、覚束ない手先でマッチを擦って美味そうに煙草をふかす。
 寒子は奇跡を起こす。冬冬とその仲間たちに追い払われた婷婷が、それでもこっそり兄についていこうとして踏切の線路に身を潜めていると、そこに電車がやってくる。寒子は間一髪で婷婷を救う。婷婷をおぶって家の前まで送り届けもする。誰よりもよく人を観察し、誰よりも村のことを知っているのは寒子だ。
 婷婷は、樹上の巣から落ちた生まれたての小鳥を見つける。冬冬は、もう死んでいるから川に流せ、そうすれば生まれ変わるだろう、と言う。もはや兄を信用していない婷婷は、本当に信頼できる唯一の存在である寒子のもとを訪れ、兄が言ったことが本当かどうか尋ねる。寒子は、小鳥の亡骸を両手に包み込み、どこまでも響きわたって行きそうな、悲痛極まりない嘆き声をあげる。
 強い風が吹く。樹々はざわめき、陽光が流れ、一瞬よりはいくらか長く続く白い閃光が寒子と婷婷を柔らかく包み込む。何のことはない、今も昔も、奇跡というのはそのようにしてやってくるものなのだ。
 その後、寒子の身に突然訪れる悲劇については語らずにおくが、この悲劇が寒子と婷婷という二人の疎外された者の瞳に誰よりも強いまなざしをもたらすということだけは語っておこう。二人のまなざしを捉えるとき、ホウ・シャオシェンのキャメラは無人称的な視点を外れ、初めて一人の映画作家、現実に生きる人間としての倫理を示す。言語外の意志の強度というべき、誰よりも寡黙で、誰よりも激しい感情がそこに立ち上がる。
 そうして冬冬と婷婷の夏休みは終わる。都会に帰る車が到着する。婷婷は寒子の姿を見つける。寒子はいつものように傘をさして歩いている。婷婷は寒子の名を呼ぶ。寒子は振り返らない。色彩鮮やかな傘が、いつものように揺れている。
 都会に帰った冬冬と婷婷が成長し、恋をし、結婚し、子を育て、年老いて最後の瞬間を迎えるとき、ひょっとしたらこの夏のことをふと思い出すかもしれない。そんな夏の一つや二つは誰にでもあるだろう。
 土地の精霊の視点に立ち戻ったキャメラは、都会へ帰ってゆく冬冬と婷婷を乗せた車を見送る。何百年か何千年かわからないが、ずっと前からそこに流れていた風が今日も吹き、樹々を優しくざわめかせた。

                                         (スタッフT.M.)

                                

まだまだあります!ビデックスJPの夏映画!!

セミマゲドン
ミッドサマー
フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法
エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に
セルフィッシュ・サマー ホントの自分に向き合う旅
グレイテスト・サマー
サマー・オブ・84
3人のアンヌ
グッバイ、サマー
サマーフィーリング
わがままなヴァカンス 裸の女神
フラガール
お引越し
飼育
HOMESICK
午後の遺言状
歩いても 歩いても
夏の終り
夏時間の大人たち
ゆめのかよいじ
円卓~こっこ、ひと夏のイマジン~
ブルーアワーにぶっ飛ばす
ドンテンタウン
チルソクの夏
藍色夏恋 デジタルリマスター版
夏物語
灼熱

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(C)大島渚プロダクション(C)1994 読売テレビ放送株式会社(C)O SOM E A FURIA,KOMPLIZEN FILM,GULLANE,SHELLAC SUD 2012(C)2012,Neckbone Productions,LLC.(C)A MARBLE ROAD PRODUCTION 1984

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桜桃の味、あるいは「不穏な震え」のゆくえ

2021/05/14

 
 2016年に惜しくも逝去されたイランを代表する巨匠、アッバス・キアロスタミ監督。これまで彼が生み出したいくつもの傑作は、イランに留まることなく世界中の映画ファンの視線を虜にしてきました。2012年には『ライク・サムワン・イン・ラブ』を日本で製作し、小津安二郎からの影響も公言してきたキアロスタミ監督の作品は、その多くがイランを舞台にしながらも、日本人の観客にとってもどこか懐かしいような感覚をもたらします。
 今回は、ビデックスJPで配信中のキアロスタミ監督作品7本の中から、1997年の第50回カンヌ国際映画祭にて最高賞であるパルム・ドールを受賞した不朽の名作『桜桃の味』についてご紹介します。

ファーストショットの不穏な震え

 自動車を運転する人物を助手席の側から捉えたショットといえばいかにもキアロスタミ的といえるかもしれない。実際、市街地の雑踏をゆっくりと前進するレンジローバーの運転席の人物を真横からのバストショットで映す『桜桃の味』(1997)のファーストショットも、『そして人生はつづく』(1992)と『オリーブの林をぬけて』(1994)でキアロスタミが実践したあの印象的なキャメラポジションを反復しているかのようにみえる。しかしここでの事態はそれほど単純ではない。『桜桃の味』のファーストショットで捉えられた男の瞳には、絶望を尽くした者にしか到達しえない穏やかさのような、時間の止まった静かな暗闇のような何かが満ちているからである。キアロスタミの前二作の人物らにはみられなかったこの深い暗闇は、ゆっくりと前進する自動車の窓外からときおり流れ込む柔らかな陽光によって救われることもなく、却っていっそう彼の絶望の輪郭を際立たせてゆくようにみえる。
 かつては「素朴な」市井の人々の生における希望を無条件で擁護するための役割を担っていたはずのキアロスタミ独特の光と運動が、ここでは暗いぬかるみの中で重い岩のように身動きのとれなくなった精神との断絶の境で鈍い摩擦を生じさせ、画面を「かつてない不穏な震え」で満たす。
 このたった一つのショットによって、観客はこの映画のゆっくりと前進する方向が前二作とは明らかに違うことを知覚し、「かつてない不穏な震え」を背筋に感じながら事態の推移を見守ることになるのを覚悟するだろう。
 

 

奇妙な「約束」

 長編デビュー作『トラベラー』(1974)で、サッカーの試合を観戦するべく奔走する少年を描いて以来のキアロスタミのスタイルを踏襲するように、『桜桃の味』の主人公の男もあるたった一つの目的を果たそうとしている。
 市街地の雑踏を抜け郊外に至り、丘陵地帯の「ジグザグ道」を走る男は幾人かの人物に声をかけてゆく。男は何か口実をつけては相手を車の助手席に座らせることに成功すると、決まってある場所に連れてゆき、ある「約束」をもちかける。その「約束」とはこうだ。
 「穴が見えるだろ?あの穴だ。いいか、よく聞いて。朝6時にここで僕の名を2度呼べ。僕が返事をしたら手をとって穴から出せ。車のダッシュボードに20万ある。それを君にあげる。返事がなかったらシャベルで20杯土をかけてくれ。金は君のものだ。」
 この奇妙な仕事を依頼され、男がもたらす「不穏な震え」の正体の片鱗を垣間見た者らは、怯えて逃げ出すか、コーランの教えを元に説得を試みるか、いずれにせよ「約束」を拒否する。拒否された男は新たな相手を探すべくまた一人レンジローバーをゆっくりと前進させ、キャメラはその姿を遠くから見守るように緩やかなパンで捉えてゆく。
 運転する男、そこから逆方向に切り返される窓外の風景、そしてまた砂埃とともに「ジグザグ道」を走るレンジローバーのロングショット。キアロスタミ自身の手による編集は、どれ一つとして長すぎも短すぎもしない完璧なリズムの連鎖と均衡を緩やかに画面へ与える。
 男が「約束」を拒否されてゆく。たったそれだけのことが、永遠に続いてほしいと願わずにはいられないほどの映画的快楽をもたらしてしまうという非常事態に観客はとまどう暇もなく、ただひたすらその画面の恍惚に身を委ねるしかないのだ。

 


 

ダンテ『神曲』と女性の不在

 ところで、ここでの「ジグザグ道」の光景について、ダンテ『神曲』の挿絵で描かれた地獄の様子とどこか似ているのではないか?と思い至る人もいるかもしれない。実際、丘陵地帯の急な斜面に段を付けるように伸びる「ジグザグ道」をロングショットで捉えたイメージは、ダンテが通過した地獄の斜面の道とそっくりだといえるだろう。
 しかし、『神曲』にあってはダンテと旅を共にするウェルギリウスもここにはいなければ、天から救いをもたらす永遠の守護女神ベアトリーチェもいない。
 そこであることに気づく。『桜桃の味』の物語が進んでゆく中で、女性の姿が一度も映し出されていないのだ。
 洗い立ての白いシーツを洗濯竿にかけてゆく母親(『友だちのうちはどこ?』)、湧き水が流れる小川で皿洗いに勤しむ少女(『そして人生はつづく』)、映画撮影に向かうトラックの荷台で沈黙する思春期の女性(『オリーブの林をぬけて』)など、水や風と戯れる女性の充実したイメージがキアロスタミ作品の重要な基調を成していたことを考えると、『桜桃の味』における女性の不在は「かつてない不穏な震え」とともにこの作品を特権づけるべく積極的に選択された要素の一つなのだろうか。だとすれば、このまま女性の姿を一度も目にすることなくこの映画は終わるのかもしれない、完璧なリズムの連鎖と均衡が続いてゆくのであればそれはそれで構わないだろう、そのように思考を巡らせているとき、突然事態は動き始める。

 

 

「約束」の終わり、奇跡の始まり

 ある瞬間、そこにいるはずのない一人の老人が、まるで暗い森に佇むダンテの眼前にウェルギリウスが降臨したような唐突さで出現し、「約束」を果たそうと言うのだ。さらには、遂に現れたたった一人の女性のある行動を決定的なきっかけとして、男はこれまで頑なにこだわり続けた「約束」の内容を変更したい、と老人に告げることになる。
 緩やかで完璧な画面の連鎖と均衡は老人の不意の出現によって断ち切られる。それまで画面から排除されてきた女性の出現は男の穏やかな絶望を明るみに引きずり出す。レンジローバーの安定した走行は乱れ、荒々しく速度を増してゆく。
 老人はいかに出現するか、女性のある行動とは何か、男は「約束」をどのように変更するか。これら一つ一つの、あえて言葉で説明するのが躊躇われるほど呆気ない、物語上の飛躍と呼ぶにはあまりにも小さすぎる単なる出来事の積み重ねでしかないはずの光景が、しかし、注意深く画面を見つめる者の心を「かつてない不穏な震え」とは別の新たな感情によって確実に、そして、まるで奇跡に立ち会ったかのように大きく揺り動かす。
 その後、映画はある映像とともに終わりを告げる。誰にも予想することのできないこの映像の不意の出現はいったい何を示すのか。
 たとえばそれは、人類がいまだに受け止め切れていないフィルムとデジタルとの断絶の境で生じた摩擦によるもう一つの「かつてない不穏な震え」、別の言い方をすれば、フィルムの断末魔の叫びなのかもしれない。
 少なくとも私はそのように受け取ったが、あなたはどうだろうか。

     

 


アッバス・キアロスタミ監督作品7本配信中!!

トラベラー
友だちのうちはどこ?
ホームワーク
そして人生はつづく
オリーブの林をぬけて
桜桃の味
風が吹くまま

イラン映画の傑作の数々もぜひ!!

ホテルニュームーン
別離
セールスマン
ボーダレス ぼくの船の国境線
ロスト・ストレイト


(スタッフT.M.)
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(C)1997 Abbas Kiarostami

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【前作から30年、待望の続編】ビルとテッドの時空旅行 音楽で世界を救え!

2021/03/26

歴史上最強のバンドが、人類滅亡の危機を救う!?
最高にハッピーな仲良しコンビが全人類に笑顔と感動をお届け!

 前作からおよそ30年、エアギターをかき鳴らしながら続編を心待ちにしてきたファンの方々に朗報!『スピード』『マトリックス』『ジョン・ウィック』という大ヒット作でスターの座に上りつめたキアヌ・リーブスの原点というべき伝説のコメディ『ビルとテッド』が久々に帰ってきた!
 かつてのファンだけでなくシリーズを知らない若い世代まで、すべての人に笑顔と感動をお届けする『ビルとテッドの時空旅行 音楽で世界を救え!』ビデックスJPで配信開始です!!
 

Story

「ビルとテッドの音楽が将来、世界を救う」と予言されていた伝説のロックバンド“ワイルド・スタリオンズ”。30年待ち続けたが、人気も落ち込み、今や応援してくれるのは家族だけ。そんな2人のもとに未来の使者が伝えにきたことは、残された時間が77分25秒という衝撃の事実。一秒でも早く曲を完成させないと、世界は消滅してしまう。どうなる地球、どうなるビルとテッド!果たして、この世界を<音楽>で救うことはできるのだろうか?!

みどころ

 
 かつては天国も地獄も火星すらも股にかけ幾多の困難を飄々と乗り越えてきた“ワイルド・スタリオンズ”であったが、あれから30年経った現在では世間から見向きもされず、『時を超える絆 愛の科学的物理的生物学的性質 意味の意味を探して パート1』(の最初の第三楽章)などという、いかにも迷走の果てに柄にもないプログレに手を出しちゃったバンドあるあるのような無駄に難解っぽい曲を身内の結婚式で披露してみるも総スカンを喰らうほどの凋落ぶり…
 おバカではあっても(おバカであるがゆえに?)誰よりも陽気な前向きさに満ち溢れていたビルとテッドも人生いろいろあったのか、二人の表情からはかつての若々しい輝きは失われており、うまくいかないバンドも解散寸前…挙句の果てにはわざわざ中世から連れてきて運命的な結婚まで果たした妻からすら愛想をつかされそうになっている…

 もはや夢も希望もないビルとテッドの下に世界の存亡の危機が訪れるというシーンからはじまる本作、こんな感じの二人に人類の未来を託しちゃって本当に大丈夫か?と観客一同の脳裏に一抹の不安がよぎりますが、心配御無用!今回のビルとテッドの冒険は今までとは一味違います。
 今の彼らの音楽に世界で唯一信頼を寄せるもう一つの二人組が奇跡的に存在していたのです。それはビルとテッドのそれぞれの娘、ビリーとティア。
 父親たちを凌駕するほどのロックオタクに育った娘二人は、かつてのビルとテッドのような躊躇いのない陽気な前向きさでダメ親父たちの冒険を助けるべく奮闘します!

 そんなもう一つの二人組を演じるのは、Netflixドラマ『ユニークライフ』でブレイクした世界最強のボーイッシュ女子(勝手に言ってます)ことブリジット=ランディ・ペインと、『スリー・ビルボード』や『ザ・べビーシッター』で忘れがたい確かな演技力を披露した新鋭女優サマラ・ウィービング。
 特にブリジット=ランディ・ペインは、今回の役作りのために父親役のキアヌ・リーブスを一年間尾行した(!)という徹底ぶり。まるで30年前のキアヌ・リーブスが憑依しているかのような彼女の演技には一作目からのファンも唸らされること間違いなし!
 飛ぶ鳥を落とす勢いで人気急上昇中の若手女優二人のフレッシュな魅力はもちろん、前作に出演した死神役のウィリアム・サドラーや、テッドの父親役のハル・ランドン・Jrなど懐かしい面々も登場する本作は、親子二代にわたって楽しめる作品になっております。
 まだまだ外出も油断できない昨今、父と娘で揃ってスナック菓子片手にご鑑賞なさってはいかがでしょうか?見終わった後はもちろん二人でエアギターをかき鳴らしましょう!!


ビデックスJP 話題作続々配信開始!!

ハニーランド 永遠の谷
異端の鳥
バクラウ 地図から消された村
82年生まれ、キム・ジヨン
窮鼠はチーズの夢を見る
れいわ一揆
映画『闇金ウシジマくん ザ・ファイナル』
マティアス&マキシム
オフィシャル・シークレット
スタントウーマン ハリウッドの知られざるヒーローたち
アースフォール JIU JITSU
やさしい手
最強ロマンス
再会の夏
ザ・タウン 悪に支配された街
アメリカン・サイコパス
ブラック・ゴースト 異次元の扉
100日間のシンプルライフ


(スタッフT.M.)
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