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亡霊は至るところに アラン・レネ『去年マリエンバートで』

2021/07/09

 


 「映画史上最も難解な映画」と評されたこともあるアラン・レネ監督の『去年マリエンバートで』。1959年に広島を舞台にした『二十四時間の情事』を監督し、長編第一作でありながら批評的成功を収めたレネは、ヌーヴェル・ヴァーグの最重要人物の一人とみなされるようになります。その後レネは1961年に長編第2作としてこの『去年マリエンバートで』を監督しますが、本作の脚本を務めたのは、なんとヌーヴォー・ロマンの代表的な小説家でもあるアラン・ロブ=グリエ。1957年の『嫉妬』と1959年の『迷路のなかで』ですでに新進気鋭の小説家として注目されていたロブ=グリエは、初めて映画脚本を手掛けたにもかかわらず、本作でアカデミー脚色賞にノミネートされ、作品としてもヴェネツィア国際映画祭で最高賞である金獅子賞を受賞します。
 そんな時代の寵児二人がタッグを組んだ映画史上の名作中の名作である『去年マリエンバートで』を、スタッフT.M.氏はどのように見たのでしょうか。最後までごゆっくりお楽しみください。
 

 

 

「観客が最も自問しがちな疑問は、以下のようなものだ。この男と女は本当に去年マリエンバートで恋に落ちたのか?若い女は覚えていて、単にあのハンサムな見知らぬ男のことを知らないふりをしているだけなのか?それとも彼女は自分たちの間に生じたことを、本当にすっかり忘れてしまっているのか?等々。一点だけ再確認しておこう。そんな疑問には何の意味もない」

「そのフォルムにこそ、映画の真の内容を求めねばならない」  
                                       アラン・ロブ=グリエ


 いま、微かな声が聴こえはじめ、それは次第に私たちの耳にもはっきりと聴きとれるほど声量を増してゆくのだが、いつの間にかまた私たちの耳から遠ざかっていってしまう。

 誰もいない広間に通じる
 ひと昔前の装飾が重苦しい
 人の足音も
 分厚い絨毯に吸い込まれてしまう
 あまりの分厚さに
 何の音も届かない
 歩く人の耳にも…
 廊下に沿って
 広間や回廊を横切る
 ひと昔前の
 豪華なホテルはバロック調で
 暗く果てしない廊下が続く
 静かで人気はなく
 暗く冷たい装飾
 木工や漆喰 羽目板 大理石
 黒ガラス 黒く描かれた絵
 円柱
 彫刻の施された扉が続き
 回廊や建物を横切る廊下は
 またも誰もいない広間に通じる

 ファーストショットが現れる以前に聴こえてくるその声は、はっきりと聴きとれる瞬間でも明らかに抑揚と感情を欠いており、その声が本来放たれる起因となったはずの肉体自身の存在すらも否定するかのような、声そのものの孤独のうちで鳴り響いている。その沈黙に限りなく近い饒舌は、まるで一人の亡霊が、遥か遠い昔の出来事の、もういまはすっかり朧げになってしまった記憶を蘇らせるべく、すでに失われた彼の瞳にかつて確かに映ったはずの光景の、いまもなお辛うじて残っている印象を反芻しているかのようだ。

 そしていま、もう一人の亡霊が現れる。映像と呼ばれるその亡霊は唐突に姿を見せたかと思うと、まるで重力の存在を否定するかのような透明極まりない流麗さであたりを動き回り、豪華なホテルらしい建築物の全体像を示すことなく天井や壁の装飾、鏡、廊下といった細部ばかりをゆっくりと捉えてゆく。その映像は、また朧げに鳴り響きはじめた声が語る情景に沿うかのような素振りを一瞬見せはするのだが、映像がゆっくりと移動してゆく方向は、声が指し示す情景から次第に離れていってしまう。映像は映像で、映像そのものの孤独のうちで浮遊し、傍らで鳴り響く声との蜜月を拒否するかのように振る舞う。
 肉体から切り離された声と、全体から切り離された映像。それらは互いに接近と離別を繰り返しながら、それぞれの不確かな記憶の中にあるはずの真実を、ある時は冷静に、またある時は興奮気味に暴き立てようと試みる。
 そのようにしていま不意に私たちの眼前に姿を現した『去年マリエンバートで』の声と映像のフォルムは、これからある女と男の記憶をめぐる物語を演じようとしている。では、その物語はいったいいかなる様相を呈することになるのか。

 

  

 いま、一人の女が誰もいない広間に立っている。左手を胸元に当て、微動だにせず立ち尽くすその姿は、現実に生きる一人の女優の自然な存在感の美というより、まるで若くして唐突に訪れた死に当の本人が気づくことなく、彼女が最も美しかった瞬間が永遠に固定されたままでいるかのような、極めて不自然で冷酷な美の輝きを放っている。そして、誰もいないはずの広間に立ったこの女を捉える映像が不意にパンすると、そこにいないはずの男が傍らに立っていることがわかる。この男もまた生者が本来湛えるはずの表情の豊かさ一切を欠いたまま硬直した姿勢で女に語りかけるのだが、ファーストショット以前から聴こえていたあの声が男の口元と同期するとき、孤独な亡霊のような声がついにみつけた自らの起因となりうる男の肉体もまた、すでにこの世に属するものではないのかもしれない、と私たちは想像してしまう。

 

 

 「あなたは変わらない。放心した瞳も、微笑も、唐突な笑いも。さしのべる腕も、子供か、木の枝かを避けてゆっくり肩のくぼみに。その香水の香りも同じ。憶えていますか?フレデリクスバートの庭園を。あなたは少しからだをかしげ、石の手すりにゆったりと手をのせて。庭の中央の道をながめるあなたに歩み寄り、私は少し遠くからあなたを見つめた。砂利を踏む私の足音にようやく気づき、あなたは振り向いた。」

 「それは私ではありません。人違いです」

 「大好きです。前から大好きです。あなたの笑い声が」

 男は女に自らの記憶を突き付け、女は何も覚えていないと言う。ここで重要なのは、この二人のどちらの記憶が正しいのか、といったようなことではない。
 女と男それぞれ固有の記憶同士が衝突することでいくつもの記憶が新たに生み出され、女は女で、男は男で、分裂した記憶の数ごとにその姿を増殖させてゆく様が、映画のフォルム自体の衝突と分裂、増殖によって示されることこそが重要なのだ。
 実際、二人が出会ったかもしれない場所はフレデリクスバートからカールシュタットへ、カールシュタットからマリエンバートへ、マリエンバートからバーデン・サルサへ、そしてまたこの誰もいない広間へと分裂し、増殖してゆく。昼の直後に夜、白い衣装の直後に黒い衣装、暗いバーのカウンターの直後に明るい部屋、静止の直後にダンス、殺された直後に生きている、といった具合に接続詞を欠いたショットの連鎖は、一つ一つのショットを物語上の直線的な関係から独立させることで、それぞれのショットに固有の生を与える。そのとき私たちは、まるで合わせ鏡の前に立った一人の亡霊のいくつもの虚像が当の亡霊本人から独立し、虚像の数ごとの生を新たに生きはじめる瞬間に立ち会ってしまったかのような深い戦慄を覚えずにはいられないのである。

 

 

 『去年マリエンバートで』の冷酷な美しさとはつまり、決して台詞によって語られる女と男の相反する記憶同士のすれ違いだったり、幾重にも錯綜した時間軸が見せる迷宮じみた謎自体によるものではなく、亡霊かもしれないフォルムと亡霊かもしれない男女が遭遇することによって生み出される死のイメージ同士が、上映時間のはじまりから終わりまでの間、不断に生起し続ける現在においてのみ、途方もない緻密さで衝突と分裂、増殖を繰り返し、それ自体が純粋に映画的な生の力へと反転するという力学によるものなのだ。
 映画とは、1秒間に24回繰り返される生と死である。誕生したその瞬間から否応なく自身の死と向き合わざるをえなかった映画という芸術の原理と、かつてこれほど真剣に向き合った作品が存在しただろうか。
 その真剣さを受け止めながら注意深く画面を見つめる観客にとって94分という上映時間は、「ちょうど夢の中でわたしたちが、ある宿命的な命令に操られていて、その命令にどんなわずかな変更を願っても、それから逃れようとしてもむだであると感じるときのように」(ロブ=グリエ)、映画のフォルムが演じるいくつもの生と死の物語によって視線を囚われながら、あっけなく過ぎ去っていくだろう。

 

 

 そしていま、ショットごとの生を生き直し終えた女と男の亡霊は、この合わせ鏡の迷宮から旅立とうとしている。いくつもの虚像に分裂し増殖した中のどれとも見分けのつくはずのない一人の女と一人の男は、それぞれがまた亡霊となり、合わせ鏡の前に立つときを待つことになるのだろうが、作品という固有のフォルムが上映時間ほどの生を生き終えたいま、女も男も、あのバロック調の豪華なホテルも、さらにはそれらのあらゆる細部までもが、私たちの視界から唐突に、そしてあっけなく消え失せて行ってしまった。
                                         (スタッフT.M.)

 
 
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